藤本健二氏が北朝鮮で拘束!スパイ容疑で公開処刑?平壌の「たかはし」とは?

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おはようございます、リエコです。

藤本健二さんをご存知でしょうか。

藤本さんというと、色の濃いサングラスに頭にバンダナを巻くスタイルが特長の男性です。

その藤本さんですが、北朝鮮の故・金正日総書記の料理人で平壌に渡航した藤本さんの所在が、6月ごろから確認できないことが日朝関係筋への取材で判明しました。

日本政府も同様の話を把握しており、情報収集を続けているようです。

政府関係者によると、藤本さんは北朝鮮当局から、国家機密に関わる情報を外部に漏らしたと疑われ、拘束されたという情報があがっています。

万が一、拘束が事実ならば政府は今後、北朝鮮に藤本さんの解放を求めていくとみられます。

そこで今回は「藤本健二氏が北朝鮮で拘束!スパイ容疑で公開処刑?平壌の『たかはし』とは?」と題しまして、藤本健二氏が拘束された経緯から、平壌で営む「たかはし」について追ってみました。

それではさっそく本題に入っていきましょう。

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藤本健二氏はなぜ拘束された?金正恩氏との関係とは?

藤本さんは、1982年~01年の間の通算13年にわたって、正日氏の料理人として北朝鮮に滞在していました。

金正恩朝鮮労働党委員長幼少期には遊び相手としても務めていたそうです。

12年7月と16年4月にも正恩氏と面会したという藤本さんですが、16年夏から北朝鮮に再び渡り、平壌市内で日本料理店「たかはし」を経営していたのです。

藤本さんは、メディアにも露出された経験もあり、ベールに包まれた北朝鮮での生活や内情を日本国内で唯一詳細な情報提供されていた人物として、注目を集めていました。

藤本さんは、16年4月に「太陽節(4月15日の金日成誕生日)に平壌に招待したいから11日までに北京に来てほしい」と、突如北朝鮮から連絡を受けたそうです。

そして、慌てて訪朝した藤本さんを、正恩氏が自らハンドルを握って会いに来てくれたと後に語っています。

その誕生会で、こんなやり取りがありました。

「藤本がたびたび送ってくれる手紙は、すべて読んでいる。箱根のホテルでコックとして働いていたそうだな。早朝5時に起きる苦労なんかしないで、早くまた平壌へ来て、仕事すればいいではないか」

「はい。私は’80年代に高麗ホテル地下の日本レストランで寿司職人をしていましたし、あそこでラーメン屋をやりたく思います」

「高麗ホテルなんかもう古いぞ。オレが平壌に作った未来科学者通りを見て来い。今年は黎明通りも整備する。それらを明日から金チャンソンが案内するから、そちらへラーメン屋を出せばよい。オレは平壌でいろんなものを建設したから、今回全部見ておけ」

「承知しました。どこにラーメン屋をオープンするにしても、最初の客は、(金正恩)大将と夫人、お嬢さんですからね」

「それは分かったよ。でも、これからわが国と日本との国交が結ばれたら、藤本も忙しくなるぞ。お前の娘は、朝日間の架け橋になったらよい」

藤本さんは、89年に金正日総書記が仲人を務め、当時国民的歌手だった厳正女と結婚。

当時、24歳になる娘・厳正美が平壌で生活しているとのことでした。

では、なぜ今回このような事態になってしまったのでしょうか?

藤本さんは、北朝鮮の重要な情報を何らかの形で握ってしまったとされているようです。

身内でもお構いなしに処刑してしまう正恩氏だけに、藤本さんの身の上がとても心配です。

最悪な事態も起こり兼ねない状況です。

一刻も早く、藤本さんの情報が掴めることを祈ります。

藤本健二氏が営む平壌の「たかはし」とは?

2016年夏から北朝鮮に再び渡った藤本さんは、平壌市内で日本料理店「たかはし」を経営オープンさせていました。

先程、正恩氏とのやり取りを掲載しましたが、その文面から分かる通り、「オレが作った」と豪語する平壌市内の未来科学者通りの一角に念願のお店を出店したのでしょうね。

おそらく、富裕層などの上流階級が利用するような高級店だと思われますね。

まとめ

今回は「藤本健二氏がスパイ容疑で北朝鮮から拘束され処刑?平壌の『たかはし』とは?」と題しまして、藤本健二氏が拘束された経緯から、平壌で営む「たかはし」について追ってみましたが、いかがでしたでしょうか。

藤本さんの安否が心配ですね。

卑劣な拷問や飢えに苦しむなどの地獄から解放されることを祈るばかりです。

藤本さんの情報が入り次第、追記していきたいと思います。

今回はここまでにさせていただきます。

最後までご覧頂きありがとうございました。

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