京マチ子さんが死去、「グランプリ女優」の異名と男性遍歴は?地元や結婚に子供は?

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こんにちは、リエコです。

芸能界から訃報が飛び込んできました。

本日、映画『羅生門』『雨月物語』など数々の映画に出演した女優の京マチ子さんが12日午後0時18分に心不全のため都内の病院で死去したことを東宝が発表しました。

生前の京さんの遺志により、石井ふく子プロデューサーら数名の友人の立ち会いのもと、本日に密葬が執り行なわれたそうです。

京さんは、享年95歳でした。

1936年に大阪松竹少女歌劇団(OSSK)に入団し、娘役スターとして活躍していた京さんは、06年9月の明治座の舞台『女たちの忠臣蔵』を最後に、70年余りの女優人生を送りました。

そこで今回は「京マチ子さんが死去、『グランプリ女優』の異名と男性遍歴、地元は?結婚や子供は?」と題しまして、官能的な肉体美を武器に数々の名作に出演した京マチ子さんの華麗なる女優人生と男性遍歴についてや京さんのプライベートを追ってみました。

それではさっそく本題に入っていきましょう。

京マチ子さんの華麗なる女優人生と男性遍歴

葬儀に参列した石井さんによると、数年前に京さんが元気な頃に大好きだったハワイへ赴き、自ら手配したお墓に入るとのことです。

生前、京さんは自らの死を迎える準備を着々と行っていたようですね。

なお、現時点で『お別れの会』の予定はないということです。

1949年には大映に入社し、本格的に女優デビューした京さん。

後輩の若尾文子さん、山本富士子さんと共に大映の看板女優として人気を博していました。

京さんの身長は160cmと、当時としては大柄であり、官能的な肉体美を武器に数々の名作に出演していたそうです。

溝口健二監督作品で53年公開の映画『雨月物語』、黒澤明監督作品『羅生門』(50年公開)、衣笠貞之助監督作品『地獄門』(53年)など、海外の映画祭で主演作が次々と受賞した京さんは世界に羽ばたく「グランプリ女優」と呼ばれたのです。

1971年に大映が倒産以降は、テレビドラマと舞台に活動の場を移し、『犬神家の一族』などでその名を知らしめました。

また、80歳を過ぎた06年頃までは、舞台などで活動を続け、女優人生は占めて70年という超ベテラン女優でありました。

00年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本人女優の3位、同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター女優」では7位に選出されるという華々しい栄光を持っていたのです。

そんな、京さんだけにさぞ男性には不自由しなかったことでしょうね。

これまでの男性遍歴を調べてみると、25歳に入社した大映の社長である永田雅一氏との恋愛関係が憶測された時期があったとしています。

これ以上のタレコミ情報は見つかりませんでした。

ときには、妖艶な姿をカメラの前でさらし、セクシーな役柄を演じているだけに、ついつい派手な恋愛を想像してしまいますが、厳格な女優道を貫き通した女性であったのでしょう。

京マチ子さんの実家は?結婚や子供は?

京さんは、1924年3月25日に本名である矢野家の一人っ子として出生しました。

5歳のときに父が蒸発により生別、母と祖母に育てられ成長した経緯を持ちます。

出身は、大阪府大阪市です。

また、京さんは生涯独身を貫いた大女優のひとりでありました。

子供がいないこともあって、今回生活をを共にしていた石井プロデューサーが葬儀の指揮を執ったのかもしれませんね。

まとめ

今回は「京マチ子さんが死去、『グランプリ女優』の異名と男性遍歴、地元は?結婚や子供は?」と題しまして、官能的な肉体美を武器に数々の名作に出演した京マチ子さんの華麗なる女優人生と男性遍歴についてや京さんのプライベートを追ってみましたが、いかがでしたでしょうか?

京さんは、数々の名だたる映画界の賞を総ナメした世界に通用する大女優でありました。

生涯独身を貫き、心底役者道を邁進されたのです。

京さんのご冥福をお祈りいたし、今回はここまでにさせていただきます。

最後までご覧頂きありがとうございました。

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