緒方貞子さん死去 日本人初の国連難民高等弁務官とは?夫や子供は?

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こんにちは、リエコです。

訃報の速報が飛び込んできました!

国連難民高等弁務官や国際協力機構(JICA)理事長として活躍した、緒方貞子さんが死去したことが政府関係者の話で明らかになりました。

享年92歳でした。

1927年、東京都出身の緒方さんは聖心女子大学を卒業後、米国ジョージタウン大学、カリフォルニア大学バークリー校で政治学博士号を取得。

76年に日本初の女性国連公使となり、国連人権委員会日本政府代表、上智大教授などを歴任しました。

91年1月に国連難民高等弁務官に就任、2003年から12年までJICA理事長を務めたキャリアウーマンです。

そこで今回は「緒方貞子さん死去 日本人初の国連難民高等弁務官とは?夫や子供は?」と題しまして、戦争の犠牲者を救い続け日本人初の国連難民高等弁務官となった緒方貞子さんについて追ってみました。

それではさっそく本題に入っていきましょう。

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日本人初の国連難民高等弁務官となった緒方貞子さん

国際政治学者の道を歩んだ緒方さんは、国際基督教大講師などを務めていた68年、国際政治に対する見識や英語力を買われて国連総会の日本政府代表顧問に就任したのを機に、国連人権委員会や軍縮特別総会の日本代表を務めるなど国連関係の活動を本格化させました。

国際社会で幅広い人脈を駆使して問題に取り組む手腕が評価され、日本人では2人目の国連機関トップである第8代国連難民高等弁務官に就任したのです。

同時に冷戦終結後の民族紛争が相次いだ時期に重なり、ユーゴスラビア、ザイール(現コンゴ民主共和国)、チェチェン、東ティモールなどの紛争地に足を運び、難民救援を指揮。

紛争当事者との対決も辞さない毅然とした姿勢は幅広い支持を集めた緒方さんは、民衆の視点に立った国際平和活動の象徴的存在となりました。

退任後は、日本政府主導で設立された「人間の安全保障委員会」の共同議長に就任し、既存の国家中心の安全保障から個人を中心に据えた安全保障政策への転換を訴えました。

そして、米同時多発テロ後の02年1月に東京で開催された「アフガニスタン復興支援国際会議」では日本政府代表、共同議長を務め、弁務官としての経験を基に平和構築に取り組んだのです。

田中真紀子外相更迭の後など、2度にわたって外相就任を要請されていましたが、いずれも固辞。

03年、退官した外務官僚のトップ就任が慣例化していたJICAの理事長に就任し、紛争後の平和構築への支援強化などODA改革に推進しました。

2013年に放送された、NHKスペシャル『緒方貞子 戦争が終わらない この世界で』では、緒方さんの半生をドラマ化。

戦争の犠牲者を救い続けた緒方さんが、世界中で地域紛争が激化した91年から10年間にわたり、類いまれなリーダーシップを発揮する姿や、徹底した現場主義を貫き、人道支援の歴史を変える数々の決断を下した背景が再現されたのです。

世界の尊敬を集めた仕事ぶりと緒方さんという人間を育んだ知られざる人生を、ドラマとドキュメンタリーを織り交ぜて描き、緒方さん役を斉藤由貴さんが演じました。

緒方貞子さんの夫や子供は?

緒方さんの夫、緒方四十郎(元日本銀行理事)氏は、朝日新聞社副社長や自由党総裁、副総理をつとめた緒方竹虎氏の三男です。

なお、緒方姓は竹虎氏の祖父・郁蔵(本姓大戸氏)が緒方洪庵と義兄弟の盟を結びその姓を名乗らせたことに始まったと言います。

息子は映画監督の緒方篤氏であります。

まとめ

今回は「緒方貞子さん死去 日本人初の国連難民高等弁務官とは?夫や子供は?」と題しまして、戦争の犠牲者を救い続け日本人初の国連難民高等弁務官となった緒方貞子さんについて追ってみましたが、いかがでしたでしょうか。

戦争の犠牲者を救い続けた緒方さんが。本日亡くなったことが明らかになりました。

緒方さんの意思を受け継ぎ、戦争のない平和な世界になることをただ願うばかりです。

緒方さんのご冥福をお祈りいたし、ここまでにさせていただきます。

最後までご覧頂きありがとうございました。

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