岡田有希子さん33回忌迎える、自殺の原因と不倫や浮気の噂とは

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こんにちは、リエコです。

みなさんは、岡田有希子さんをご存知でしょうか。

1986年4月、18歳の岡田さんは所属先のサンミュージック本社の屋上から身を投げ、飛び降り自殺を図りました。

岡田さんは当時、80年代を代表する絶大な人気を博したアイドルで“ポスト松田聖子”と言われた全盛期の真っただ中でした。

当然、この惨劇に日本中に激震が走りました。

亡くなった岡田さんの後を追い、50人以上もの少年少女の後追い自殺者も続出し、社会問題にまで発展。

しかしながら、月日は流れ、昭和から平成、そして令和に時代を隔てても岡田さんの命日になると今でもファンが花を捧げに来るのです。

そこで今回は「岡田有希子さん33回忌迎える、自殺の原因と不倫や浮気の噂とは」と題しまして、33回忌を迎えた岡田有希子さんの自殺の原因や真相と、峰岸徹さんとらとの不倫や浮気の噂について追ってみました。

それではさっそく本題に入っていきましょう。

岡田有希子さん33回忌を迎え、自殺の真相を振り返る

まずは、岡田さんの簡単なプロフィールです。

・本名:佐藤 佳代

・生年月日:1967年8月22日

・享年:18歳

・出身地:愛知県一宮市

・血液型:O型

・家族構成:父親、母親、姉

・代表作品:「禁じられたマリコ」

岡田さんが自殺したのは、86年4月8日昼頃のことでした。

そのときの状況をサンミュージック名誉顧問の福田時雄氏が、振り返りました。

「あの日、屋上にはスリッパが綺麗に揃えられていました。病院から有希子がそのまま履いてきたものです。守ってやれなかった後悔と共に、その光景は今でも鮮明に覚えています」

自殺した当日の午前10時頃、岡田さんは南青山の自宅マンションでガスの元栓を捻って手首を切り、近隣の病院に搬送されていたのです。

病院に駆けつけた福田氏は、岡田さんを事務所に連れて帰り、故・相沢秀禎会長の電話に出るため、福田氏は一度席を外しました。

岡田さんは、付き人の目を盗んでは屋上へ向かい、投身自殺を遂げたのです。

その後、岡田さんの部屋には、便箋2枚の遺書が残されていました。

するとそこには、24歳年上の峰岸徹さんへの思いがこう綴られていたと言われています。

男優の峰岸徹さんにふられた…あこがれていたのに、最近冷たくされて悲しい…勝手なことしてごめんなさい…

メディアはすぐさま、峰岸さんを追いかけ回しましたが、峰岸さんは岡田さんとの男女関係を否定。

「正直、ものすごくショックです。僕は兄貴のつもりでいたんですが、彼女はそれ以上のプラスアルファがあったのかもしれない。それが愛だったら、責任を感じます」と峰岸さんがコメントしました。

岡田さんと峰岸さんは、85年から始まったドラマ『禁じられたマリコ』で共演。

当時、峰岸さんは42歳、岡田さんとは24歳差でした。

サンミュージックの相澤会長は後に、亡くなる円実の岡田さんの行動を公表しています。

岡田さんは前日の深夜、世田谷区・成城の峰岸徹さんの自宅前に1人訪れ、朝方、泣きながら帰宅したそうです。

峰岸徹さんには、元妻との間に女児を設け、当時は新しい婚約者もいたそうです。

事務所に保管されていた日記ノーとには、岡田さんの峰岸さんへの想いや苦悩が綴られていたそうです。

岡田さんは、峰岸さんへの憧れがいつしか愛に変わり、敵わぬ恋と悟ったのでしょうね。

その峰岸さんは2008年に肺がんを患い、65歳でこの世を去っています。

岡田有希子さんの不倫や浮気の噂とは?

岡田さんの自殺から数か月後の1986年6月、『週刊サンケイ』が、岡田さんが想いを寄せていたのは、峰岸さんではなく、神田正輝さんであったと報じたのです。

岡田さんは事務所の先輩である松田さんを通じて神田さんと知り合い、大人の関係に発展したそうです。

いわゆる不貞の関係ですね。

そして、神田さんの子供を妊娠するに至っていたというのです。

ところが、岡田さん自殺の前日の86年4月7日、松田さんは神田さんとの第1子の妊娠を発表。

松田さんは、この時すでに妊娠4ヵ月に入っていました。

岡田さんは、これらの経緯に絶望し、自殺を図った説が浮上しました。

「死人に口なし」とは、まさにこのことでしょう。

峰岸さんとの関係も事実ならば、岡田さんは峰岸さんの浮気相手ということになり、神田さんとの関係も同時に進行していたのならば不倫の関係に値しますが、真相は闇のなかですね。

まとめ

今回は「岡田有希子さん33回忌迎える、自殺の原因と不倫や浮気の噂とは」と題しまして、33回忌を迎えた岡田有希子さんの自殺の原因や真相と、峰岸徹さんとらとの不倫や浮気の噂について追ってみましたが、いかがでしたでしょうか。

岡田さんのご両親は、死後から 「三十数年間、取材は一切受けていませんので……」とコメントしています。

そして、岡田さんの命日が来ると、事務所前に置かれた花束を集めたファンが、愛知まで運び、岡田さんの墓前に供えるそうです。

短い生涯でしたが、この上ない永遠のアイドルでしょう。

それでは、ここまでにさせていただきます。

最後までご覧頂きありがとうございました。

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