新元号有識者懇談会に宮崎緑が白大島!年齢詐称とは?元夫が逮捕?

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こんにちは、リエコです。

ついに、新元号が発表されましたね!

『令和』。

まだ、馴染むまでに時間がかかりますが、様々な思いを込めた新時代の幕開けにぴったりではないでしょうか。

朝から、新元号決定にあたり、メディアもこぞって特番続きの一日ですが、9時30分から行われた、元号の最終判断を仰ぐ“有識者会議”のメンバーは各界から9名が人選され、うち2名の女性がいました。

作家の林真理子さんと、ジャーナリストの経歴を持つ宮崎緑さんは、白大島を身にまとい大きな注目を集めていました。

そんな宮崎さんは、千葉商科大学国際教養学部の教授を務められ、キャスター出身の元アナウンサーであります。

ところが、2016年10月の『週刊文春』に、“年齢詐称疑惑”を報じられた経緯があります。

そこで今回は「新元号有識者懇談会に宮崎緑が白大島!年齢詐称とは?元夫が逮捕?」と題しまして、宮崎さんが浴びせられた『文春砲』の詳細と、宮崎さんの元旦那の逮捕について追ってみました。

それではさっそく本題に入っていきましょう。

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宮崎緑の経歴詐称疑惑とは?

平成天皇の「生前退位」の意向に対する、有識者会議のメンバーに選出された宮崎さん。

すると、皇室問題を検討するメンバーとは思えないスキャンダルが早速浮上したのです。

“女性キャスターの草分け”として知られた宮崎さんは、千葉商科大教授として活躍されていますが、2016年10月発売の『週刊文春』で、「宮崎緑に『経歴詐称』疑惑」と題した記事が掲載されたのです。

その内容とは、キャスターを経て、教授および同学部長を務めていますが、学者としての経歴には重大な“詐称疑惑”があるというのです。

宮崎さんは、82年にNHKの『ニュースセンター9時』に起用され、同番組を6年間勤めた後、90年代にはテレビ朝日『ニュースフロンティア』や『朝まで生テレビ!』に出演していました。

ところが、00年代以降はテレビから消えてしまいましたが、そんな宮崎さんは前述の通り、現在、千葉商科大学国際教養学部の教授および同学部長に転身したのです。

宮崎さんの複数のプロフィールによれば、88年に東京工業大学で「講師」あるいは「非常勤講師」を勤めていたとされています。

ところが、同校の研究者から、「90年代に彼女が計画理論の分野で有名な故・熊田禎宣教授(当時)の研究室に週一回程度出入りしていたのは確かです。ただ、彼女が講師として教鞭をとっていたということはなかったはずです」(「週刊文春」より)というタレコミをされてしまったワケです。

その他にも記事では、「学術的な実績はほとんどなかった」というコメントや、千葉商科大関係者からは、「当時、宮崎先生は東工大の非常勤講師を名乗っていました。それについて、熊田先生が『東工大に非常勤講師なんていないんだけどなぁ』と言っていたのを聞いたことがあります」などといった内部告発によって“文春砲”を浴びせられたのですね。

経歴詐称疑惑があり、ジャーナリストとしての経歴を見ても、皇室問題とほとんど関係がないうえ、憲法や法律の専門家でもない宮崎さんがなぜこんな重要な会議のメンバーに選ばれたのは、謎であります。

ただ、政財界の人脈がすごいのは確かなようです。

元夫の逮捕とは?

1988年に宮崎さんと結婚した弁護士の椿康夫さん。

翌年には、長男が誕生していますが、3年程で離婚に至ったのです。

その元夫が、16年8月に逮捕されました。

元夫は2005年後半に東証マザーズ上場の検査装置メーカーであるオー・エイチ・ティー(OHT)の株価を不正に釣り上げて巨額の利益を得た疑いがもたれていました。

そして07年に、逮捕状が出ましたが、同年5月に海外に高飛びしたのです!

10年近く、逃亡生活をつづけた元夫は、タイで身柄を拘束されましたが、バンコク付近で
若いタイ人の女性と暮らしていたようです。

月30万円の高級マンションに住まいを持ち、優雅な生活を送っていたという元夫は、16年8月にタイから強制送還されました。

この元夫との結婚式には、中曽根康弘さんや宮沢喜一さん、竹下登さん、後藤田正晴など政界の大物や当時の東電会長や経団連会長まで招待していたようですね。

あえなく黒歴史を抱える羽目になった宮崎さんですが、さすがに有識者会議の人選に入ると、皇室問題や歴史学の専門家からは、ことごとく依頼を拒否されたようです。

まとめ

今回は「新元号有識者懇談会に宮崎緑が白大島!年齢詐称とは?元夫が逮捕?」と題しまして、宮崎さんが浴びせられた『文春砲』の詳細と、宮崎さんの元旦那の逮捕について追ってみましたがいかがでしたでしょうか?

宮崎さんは、過去に経歴詐称の疑惑を『週刊文春』にかけられました。

さらに、元夫は、16年8月に逮捕をされ、宮崎さんの黒歴史として刻まれてしまいました。

新元号決定にあたり、一躍買った宮崎さん。

「寒さのあと 咲き誇る梅の花のように…」と思いが込められた『令和』ですが、宮崎さんの人選は梅の花のように咲き誇ったのではないでしょうか。

それでは、今回はここまでにさせていただきます。

最後までご覧頂きありがとうございました。

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