元貴乃花が藤田紀子と花田虎上に感謝!絶縁の理由とは?『疑惑の一番』って?

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こんにちは、リエコです。

平成も残すところあと40日となりました。

そこで、平成の象徴とも言われた『若貴兄弟』はご存知でしょうか?

日本一仲のいい兄弟で知られ、兄弟初の横綱精進は相撲界の歴史に大きな爪痕を残しましたね。

ところが、現在は兄弟間のみならず母親の藤田紀子さんとも確執を抱えている弟の花田光司さん。

ですが、昨夜放送された『ザ・発言X 勝負の1日』に出演した光司さんは、紀子さんと兄で元若乃花・虎上さんに感謝と和解の気持ちを打ち明け大きな話題となりました。

そこで今回は、「 元貴乃花が藤田紀子と花田虎上に感謝!絶縁の理由とは?『疑惑の一番』って?」と題しまして、日本一仲のよい兄弟と言われた光司さんと虎上さんは、なぜ絶縁関係になってしまったのか?さらに、今なお語り継がれる『疑惑の一番』について追ってみました。

それではさっそく、本題へ入っていきましょう。

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絶縁状態になった理由とは?

番組放送終了後、虎上さんは「いつか」と題したブログを更新し、「ほんの半年前まで私が出演する番組には写真は疎か名前を使うことさえできませんでした。ほんの三ヶ月前まで今後も会うことはないと言われていました」と説明。

さらに、「そのような中、急変した現状に当惑しています」と、光司さんの突然の心境の変化に驚く虎上さんですが、なぜこのような状況になってしまったのでしょうか?

その原因の一つとして、異父兄弟説があります。

因みに、貴乃花の本当の父親は、風貌や体格から昨年10月に死去した元横綱・輪島だという噂もあるようです。

兄弟の師匠であり、父親であった元二子山親方(元大関貴ノ花)の遺産相続を巡る骨肉の争いは連日止まない報道の記憶が蘇ります。

光司さんは、メディアに出まくり続け、虎上さんを「花田勝氏」呼ばわりして、強烈に非難したのです。

さらに光司さんは、虎上さんが生前の父親の病床から年寄名跡証書が入ったバッグを勝手に持ち出したと証言し、泥棒扱いまでしたのです。

『疑惑の一番』とは?

1995年11月に史上初の兄弟対決が行われた九州場所千秋楽において、『八百長』と指摘された『疑惑の一番』は、今なお語り継がれる伝説の取り組みです。

勝負の前夜、親方である父が4連覇を狙う光司さんの宿舎を訪ね、「光司、明日はわかってるな」と念を押されたといいます。

横綱と言えど、若干23歳の光司さんは、何のことかわからず、「はい?」と答えたそうですが、親方はこの意味を承諾したものと受け取ったと言われています。

ところが、親方が去ったあと、付き人から「光司、負けてやれって意味だよ」と言われ、光司さんは愕然としたという話があるようです。 

勝負は熱戦を繰り広げましたが、光司さんは右膝からあっさり崩れ落ち、虎上さんの2場所連続優勝で、兄弟横綱誕生を決めた瞬間が訪れたのでした。

これを機に、「若貴兄弟絶縁騒動」へと発展し、マスコミにお膳立てされた兄弟の確執は修復不可能になっていったと言われています。

単に一言では片付けられない絶縁騒動ですが、昨夜の番組で虎上さんとの思い出を聞かれると「入門してホームシックにかかっている時、隣で寝ていた兄から『大丈夫、大丈夫』って優しく声をかけてくれた」と光司さんは当時を回顧。

そして、「心配性で常に私のそばにいて盾になろうとしてくれた。1人で入門していたら、ここまで来られなかった。ライバルというより兄弟という感じでやってきた」と感謝の言葉を述べていましたが、これらの様々な思いがよみがえってきた言葉でもありました。

 

まとめ

今回は、「元貴乃花が藤田紀子と花田虎上に感謝!絶縁の理由とは?『疑惑の一番』って?」と題しまして、日本一仲のよい兄弟と言われた光司さんと虎上さんは絶縁関係になってしまったのか?さらに、今なお語り継がれる『疑惑の一番』について追ってみましたがいかがでしたでしょうか?

日本一仲のいい兄弟で知られた若貴兄弟は、八百長疑惑をはじめ異父兄弟説へと発展し、修復不可能な関係へと導いてしまいました。

人生の『折り返し地点』に立った今、これまでを振り返った光司さんは、家族の大切さを身に染みて感じられたのでしょうね。

そして、第3の人生として「絵本作家」に挑戦することを発表した光司さんのさらなる活躍に期待し、今回はここまでにさせて頂きます。

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。

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