小林旭の妻(嫁)、青山京子こと小林みどりさん死去 死因や葬儀と告別式は?喪主は誰?

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こんにちは、リエコです。

久々ですが、芸能界からの訃報です。

俳優・小林旭の妻で<青山京子こと、小林みどりさんが12日に肺がんで死去しました。

享年84歳です。

夫婦は、1967年に結婚し、2人の子供にも恵まれました。

芸能界を引退後は家庭に入り、小林さんの後押しをされていたのでしょうね。

そこで今回は「小林旭の妻(嫁)、青山京子こと小林みどりさん死去 死因や葬儀と告別式は?喪主は誰?」と題しまして、小林旭さんの妻で青山京子さんの死因や葬儀と告別式、喪主について追ってみました。

それではさっそく本題に入っていきましょう。

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小林旭の妻(嫁)、青山京子こと小林みどりさん死去

青山さんは、香蘭女学校中等科卒業後、玉川聖学院高等部在学中の1952年に、東宝の丸山誠治監督作品『思春期』に登場する女子高校生役のオーディションを受け、2000人の中から合格し、本名の中西みどり名義でデビューしました。

映画公開後、青山京子名義に改名しています。

東宝の5期ニューフェイスとして演技の勉強を続け、53年以降50本余の東宝作品に出演した売れっ子女優でした。

中でも54年の『潮騒』は相手役の久保明さんとのコンビで、女優として大きく躍進する作品となったのです。

56年3月、イタリアのローマで同3月12日から18日まで開催された日本映画見本市に出席のため、高千穂ひづるさんらと共にスカンジナビア航空機で日本を出発した青山さんは同3月23日に帰国。

この頃は、海外へ渡航すること自体が珍しく、日本出発時の飛行機のタラップ(屋根なし)での写真が現存するほど。

当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なイタリア訪問をされた大スターでした。

58年にはフリーとなり、松竹の『江戸遊民伝』など時代劇女優で脚光を浴び、60年だけで18本の映画に出演する偉業を成し遂げています。

59年8月、モスクワ国際映画祭に出席のため、旧ソビエト連邦(現:ロシア連邦)の首都モスクワへ出発し、約1ヶ月ぶりに日本に帰国するなど、国際派女優としても活躍。

また、この当時もまだ海外渡航自由化の前で、貴重なモスクワ訪問となったのです。

そして1967年に小林さんと結婚し、惜しまれつつも芸能界を引退しました。

当時、海外へ行くこと自体、絵空事だったような時代。

そんな中、日本を代表する女優として、世界へ羽ばたいた青山さんの功績が今もこうして引き継がれているのでしょうね。

青山京子さんの死因や葬儀と告別式は?喪主は誰?

青山さんの死因は肺がんです。

報道によると、葬儀・告別式は23日午前10時から東京都品川区西五反田5の32の20、桐ケ谷斎場で執り行われ、喪主は夫である小林さんが務めます。

お別れ会などの詳細は不明ですが、おそらく芸能界を引退された方なので開催はないと思われます。

まとめ

今回は「小林旭の妻(嫁)、青山京子こと小林みどりさん死去 死因や葬儀と告別式は?喪主は誰?」と題しまして、小林旭さんの妻で青山京子さんの死因や葬儀と告別式、喪主について追ってみましたが、いかがでしたでしょうか。

かつて、女優として飛躍していた青山京子さんが肺がんのため、12日に死去しました。

青山さんのご冥福をお祈りいたし、ここまでとさせていただきます。

最後までご覧頂きありがとうございました。

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